痛みを感じず己の意思と裏腹に宙を舞う身体
情けなさと、やられたという独特の感情が押し寄せた。
己が事象をコントロール出来ない歯痒さ
被害者の感情だ。
殆ど人にとって他人にコントロールされる人生は嫌な筈。
私もそうだ。
全治3ヵ月と診断されたが、症状固定に5ヵ月を有した。
そして、仕事を失った。
聖人君子ではないけれど、己を含め、人は過失の生き物だと思ったから、加害者の非を咎めることはしなかった。
だが、このことが災いしたのか、加害者からの謝罪は無かった。
数日後、他の土地で横断歩道上の轢き逃げ死亡事件の報道があった。
同じ被害者の立場から、この事件について興味を持ちサイトを巡回した。
事件の悲惨さも然る事ながら、残念なことに、全く非の無い被害者を罵倒するような心無い書き込みも散見した。
社会に八つ当たりし、恨みを晴らそうとする人間だ。
過失とは別に、こういう輩が交通事故を起こすのは否めないと感じた。
自分が被害者の時に感じなかった怒りが沸点を超えようとしていた。
だが私に出来ることは限られている。
私は怒りを胸に物に当たる。
だが、壊すのではない。
深淵を覗く目に入ったのは、事故当時のビジネスバッグ。私が販売を手掛けたこともある思い出のイタリア製のバッグ。
本革とナイロンのコンビネーション。
本革が持つオーソドックスなビジネス感をカジュアルなナイロンで中和するメーカーだった。
だが、このメーカーもコロナで甚大な被害を受けていた。
このバッグ、普通ならゴミ箱行きだ。
意地でも再生する。
壊れたバッグを前に誓った。
所々、痛みが残る身体に鞭打ち、倉庫の中からレザークラフトの道具とバッグに合わせる材料を探した。
あまりにも損傷が激しいので、元の大きさのバッグには修復不可能。
冠婚葬祭に使える小型のクラッチバッグを作ることにした。
普通に購入したバッグなら何も思わなかったかもしれない。
だが、このバッグの販売を手掛け、一緒に仕事に生きて、交通事故にあった相棒だ。
片腕がもがれる様で、切り刻むのは辛かった。
こちらの気持ちを察知したのか、まな板の鯉の状態ではなく私の心に何かを訴えてくる。
チャコペンを持つ手にも力が入る。
痛みに耐えてくれ!
己に言っているのかバッグに言っているのかわからい状況だ。
本革とナイロンを合わせて縫うと、素材の違いでテンションが変わり、皺が寄り易いのでアクリル板を芯地にする。